通常朝から夕方5時ごろまでは、本堂内を参拝し境内散策することが出来ます。
法要・月例会等で使用したり、用事外出していなければ、簡単に説明いたしますので、お気軽にお問い合わせください。

    
鹿児島県重要文化財に指定されています。明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、薩摩藩の千数百ヶ寺あった全ての寺院や仏教文化財が崩壊してしまいましたが梅嶺和尚は仏像類等を甕(かめ)に隠し生命がけで護られました。
平成元年京都国宝修理所美術院で修復され、その際に内部から「文安二年(1445)院隆作」の銘が発見されました。当時の地方寺院には珍しく中央の仏師による丁寧な造りがされており、修理に当たった美術院では「院派最後の華」と評しています。

左から東方持国天王、西方広目天王、南方増長天王、北方多聞天王 本尊と共に県の文化財に指定されています。
 本尊と四天王は嘉吉二年(1442)仏殿火災により当初の千手観音を焼失、その後の勧進によって再建されたものであることがわかっています。

鹿児島県の文化財に指定されています。雲山和尚は島津貞久公の命を受け感應寺の復興に当たった中興開山で、讃文中には足利尊氏公が雲山和尚を称えた和歌も書かれています。10代徹堂和尚の時代に作られ、県内最古の頂相(禅僧の肖像画)です。毎年4月8日の花まつりの際に涅槃図・八大地獄図と共に公開されています。

境内西に島津家初代忠久公以下五代までの分骨された墓碑があり、毎年7月17日(初代忠久公命日御逮夜)には当寺において島津家をお招きして法要を営んでいます。このうち初代、2代は鎌倉にも墓があることから、分骨と推察されます。
左より 初代忠久公、二代忠時公、三代久経公、四代忠宗公、五代貞久公

出水市の文化財に指定されています。
寛延四年(1751)建立、右は阿(あ)型で金剛像、左は吽(うん)型で力士像です。仁王とは勇猛獰悪(ゆうもうねいあく)な相で仏法の守護神となっています。

出水市の文化財に指定されています。
当山18代茂林和尚が天文二十四年(1555)島津義虎の文船使節として琉球に渡り、琉球の中山王より拝領したと伝えられています。

昭和58年に建立された子どもの為のお地蔵様です。一人百円の浄財で三万人の御縁を頂き建立されました。毎年11月23日は縁日として例大祭が行われます。