本来の彼岸としての懺悔

今日はお彼岸のお中日、感応寺では一昨日19日に4年ぶりのご本山からの説教師をお迎えいたしまして、お彼岸の法要を無事に執り行いました。写真はその時に掲示していたものです。
感応寺では30年前に行われた仏弟子として戒名をお授けする授戒会(じゅかいえ)以来、春秋のお彼岸では参列された方々とご一緒に加行礼拝(かぎょうらいはい)をして懺悔を致します。
懺悔というと罪を告白するという意味でキリスト教で行われることが有名ですが、仏教における出家者においても守るべき戒を定期的に反省するという意味で使われます。臨済宗ではもちろん神ではなく「三千諸仏」に向かって行うことになります。
仏様のお名前を唱えながら、頭を下げ、掌を上にしてあげることを繰り返しながら、お彼岸が我々の日頃の行いを顧みる機会になっていただければと思いつつ、季節の変わり目と新しい一日を感じていただく法要でした。

懺悔の拝をしながら唱えます。
六根とは五感に意(心)を加えたものです